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伝えられるコト、できること(1) 祖父の話
今日は、広島にとって、特別な日です。

☆にゃんこ☆にとっても。


毎年、朝は黙祷をし、夜は燈籠を流しに行きます。


以下、2005年の日記より転載




私の祖父母は、62年前の今日、広島の旧市内に居て、被爆しました。
生き延びる事はできましたが、今も傷痕が残っています。
今は目立った後遺症もありませんが、いつどんな病気を発症するかも知れません。
祖父母が体調を崩す度に、私達は、放射能の影響かと気が気ではありません。


まず、祖父が話してくれた話を簡単にまとめて書きます。


祖父は北海道出身で、当時広島の高等師範学校(現在の広島大学教育学部)の学生でした。
早朝あった空襲警報が解除されたので、その朝、祖父は学校に向かう為、橋を渡っていました。
その橋は、B29のパイロットが、原爆を落とす目標としたT字の橋−相生橋から南に数百メートルの場所にありました。
橋の中程まで来た時、空襲警報は解除されているのに、上空にB29が飛んできました。
祖父は『今爆弾を落とされたら、川に叩き込まれる』と思い、全力で走りました。
そして、橋を渡り切ったその時、原爆が投下されたのです。
祖父は爆風でアカシアの木の下に吹き飛ばされ、意識を失いました。
しばらくして、異様な暑さに目を覚ますと、自分の手の甲に火傷をしていました。
目を上げると、真っ黒になった上空から、マグネシウムを燃やしたような、青白い光が降り注いでいて、危険を感じた祖父は、しっかりと伏せて体を守ろうとしました。
しばらくしてから、祖父は西へと逃げ始めました。
当時既に恋人だった祖母の身を案じながら、祖母が居るであろう、そして祖母の実家のある方へ…。
途中橋の無いところは、自分で船のようなものを漕いでわたり、とにかく西へ西へと進みました。
その途中で目にした光景は、言葉にできない、もう地獄としか言いようのないものでした。
ひどい火傷で剥けた腕の皮が、爪で止まって下に垂れ下がっているので、引きずらないように手を前に差し出して、みんな同じ方向を目指して歩いて行くのです。
黒焦げになった人もたくさん見たし、でもとにかくその数が多すぎて、頭の中は真っ白になって、感覚が麻痺して、気持ち悪いとか、恐いとか、そういった感情はなかったそうです。



(2)に続く






| ヒロシマ | 00:26 | comments(4) | trackbacks(0) |
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コメント
レインマンさん>

できることは、これくらいだけですが、できることをしたいので…
| ☆にゃんこ☆ | 2009/08/21 6:12 PM |
貴重なお話 ありがとうございました。
| レインマン | 2009/08/08 11:35 AM |
マダム‥さん>

ずいぶん遠くからも、異変がわかったって証言も、たくさんありますよね

お母様の証言も、貴重なものだと思います。
しっかりお話を聞いておいて下さいね
マダム‥♪さんが、他の人に伝えられる話ですから。
| ☆にゃんこ☆ | 2007/08/07 2:42 PM |
その日 広島方向の空が 何時もと違う真っ赤になったと 大三島の母が言っていました

言葉で言い表せない程の惨状を目にして 思い出すだけでも辛い事だと思います

にゃんこさん・・ありがとう
| マダム・・♪ | 2007/08/06 8:35 PM |
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