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伝えられるコト、できること(2) 祖母の話
次に、祖母の話を書きます。


以下、2005年の日記より転載




祖母は既に女学校を一旦卒業していたのですが、学徒動員の名目で動員する為の、名前だけの『専科』の学生でした。
祖母は広島市南部、今も変わらない場所にありますが、三菱の工場で働いていました。
当初は工場内で作業していましたが、強制連行されて来た朝鮮の人達に(この工場で働かされていました)、女子が襲われると噂が流れ、工場から事務所に異動になっていました。
事務所では、他の人が書いた図面を写す作業を担当していたそうです。

普段工場へは、今の原爆ドームの近くから、トラックに乗り合って向かっていたそうです。
そのトラックは一台しかなく、その一台が往復して、たくさんの人を運んでいたので、朝はなかなか来ないのが普通だったようです。
でも、その日だけは違っていました。
いつになく、運行がスムーズだったようで、祖母はいつもより早い時間にトラックに乗り、いつもより早く工場に着きました。
原爆が投下されたのは、祖母が事務所に入ってすぐでした。
もし普段と同じ時間にトラックに乗っていたら、その時、祖母はまだトラックの荷台の上だったでしょう。
爆心からは少し離れていたので、少しは間があったのでしょうか、祖母は机の下に逃げ込んだそうです。

しばらくして、静かになったので、建物から外へ出てみると、やはりそこは地獄のようだったそうです。
外で働かされていた(主に朝鮮の)人達が、火傷を負い、剥けてしまった皮が爪で止まって下がっているのを、引きずらないように、手を前に差し出して歩いて来るのです。
その光景に驚きながらも、祖母もまた西へと逃げました。
途中の川は、桶のような物か小舟に乗り、他の人が引っ張るか漕ぐかして渡してくれたそうです。
井口という駅からは列車が動いていました。
広島市内の方を振り返ると、広島市の上空に、真っ黒な雲が広がっていました。
祖母は、更に西にある実家を目指しました。


実はこの日、祖母の同級生の女性は、祖父が渡ったのと同じ南大橋を渡っていました。
祖父とは反対の方向に向かって…。
祖父が渡り終えた頃に、その女性はまだ橋の中程に居たようです。
その女性は、熱くて川に飛び込みました。
その時は命をとりとめましたが、一ヶ月ほどして亡くなりました。



(3)に続く




| ヒロシマ | 13:23 | comments(2) | trackbacks(0) |
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コメント
マダム‥さん>

とにかく逃げるのに必死で、
どうやって川を渡ったのか、よく覚えてないみたいです

本当に、無事でいてくれてよかったです
| ☆にゃんこ☆ | 2007/08/07 3:00 PM |
熱くて川の水を求める話を良く聞きました
幸いに川を 船にして渡ったのが良かったんですね 
| マダム・・♪ | 2007/08/06 8:40 PM |
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