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伝えられるコト、できること(6) 祈り
 



平和の子の像





平和の子の像





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| ヒロシマ | 01:18 | comments(2) | trackbacks(0) |
伝えられるコト、できること(5) 今年も
 




燈籠





燈籠



世界中の子どもたちが、

『戦争なんて知らない』と

笑顔で言える日が来るまで、

平和を願い続けること、

それは、私にもできる、独りでもできる、

あなたにも、誰にでもできる、

最初の、力強い1歩だと信じています。





| ヒロシマ | 00:28 | comments(2) | trackbacks(0) |
伝えられるコト、できること(4) そして…
 

私たちに出来ることは何でしょう??

できること、どんなに些細な事でも、まず、してみてください。

あなたの隣に居る、その人と、平和について何でもいいから話してみてください。


私にできることは、祖父母の話してくれた話を、少しでも多くの人に伝える事だと思っています。

だから、
過去の日記に書いたことですが、
今回、またblogに載せる事にしました。



記事を読んだ人が、1人でも多く、平和の尊さに、
戦争の愚かさ、醜さ、恐さに気付き、

その人の心の中だけでも、何かが変わってくれたら、と思います。



以下、2005年の日記より転載



私がまだ幼かった頃から、毎年お盆の時期に親戚が集まると、祖父母は私達子どもに、8月6日の話をしました。
そして、最後にいつもこう言うのです。

戦争はいけん。
絶対にいけん。
もう二度としちゃぁいけんのんじゃ。

原爆は恐ろしい。
あんなものを、もう使わせちゃあいけんのんじゃ。

戦争には、絶対に反対せんといけんのんじゃ。


…と。
でも、今の日本はどうでしょう?
戦争の手伝いをし、片棒を担いでいます。
そして、今日本が戦争の手伝いをしているのは、
爆発の威力は原爆ほどはなくとも、同様に、確実に、放射能によって人々の体を(或いは心までも)蝕む爆弾を、大量に使い続けている国なのです。
放射能は目にも見えないし、触れても何も感じず、臭いや味だってしません。
でも、非常に恐ろしいモノなんです。
だからこそアメリカは、広島・長崎の被爆した人だけでなく、自国の国民までもモルモットのように扱い、実験や研究を続けているのです。

これは、よく知られた話ですが…
戦後すぐに、ABCCが、原爆による人体への影響の調査をしています。
被爆した人が亡くなると、何処からともなく占領軍のジープが通訳を乗せてやって来て、死体を持ち帰りたいというのです。
占領下にあり、調査の為だから協力して欲しいと言われ、僅かなお金と引き換えに死体は持ち去られました。
不思議な事に、誰かが亡くなると、すぐにジープが現れます…まるでハイエナやハゲタカのように。
ABCCの『調査』の対象は、死体だけにとどまりませんでした。
ある日突然ジープやトラックが来て、生き残った人々を乗せて連れ去るのです。
広島では、ABCCの施設(比治山にある今の放射能影響研究所)に連れていかれたようです。
そこでは、『治療』は一切されませんでした。
ただサンプルとして血を抜かれ、体の隅々まで調べ上げられただけです。
そして、『調査』と言いながら、その結果が公表されることはありませんでした。
後に、当時のABCCの調査資料は日本へ返却されました。
ある本に、その資料を見た方の記述がありました。
それは広島大学のある部屋に置かれていたそうですが、部屋にたくさんの木の棚が並べられ、その棚の一つ一つに、直径が1メートル程の大きな瓶が並べられていたそうです。
その瓶の一つひとつの中に、人間一人分の臓器が茶色い液体に漬かって入っており、瓶には一つずつ番号や記号の記入されたラベルが付いていたそうです。
まさしく、『研究材料』だったわけです。



| ヒロシマ | 14:01 | comments(8) | trackbacks(0) |
伝えられるコト、できること(3) 蔦子さんの話
祖母の姪で、母の従姉にあたる蔦子さんの事を書きます。


以下、2005年の日記より転載




蔦子さんは、祖母の一番上の兄の長女でした。
女学校へ通う為に、祖母の実家に下宿していて、祖母とは少ししか歳も離れていなかったので、とても仲が良かったそうです。

蔦子さんも、8月6日は市内に居ました。
そして、その日は帰って来ませんでした。

心配した祖母は、蔦子さんのお父さんに知らせましたが、当時小学校の校長をしていたので、避難してくる人も居て、小さな子どもたち(蔦子さんの弟さんや妹さんたち)も居たので、蔦子さんのお父さんは、自分で探しには行くことができませんでした。
そこで、普段から面倒もみていて、仲の良かった祖母が、探しに行くことにしました。
1人では大変なので、祖父にも頼み、2人で行くことにしました。

7日は、探しても探しても、蔦子さんは見つかりませんでした。
街の至る所に黒焦げになった死体があり、まだ炎があがったり、燻ったりしていて、真夏の暑さに拍車をかけていました。
祖母は、道端や川縁、その他至る所にある遺体をひっくり返し、その顔を一つひとつ覗き込み、蔦子さんを探しました。
『あぁ、これが蔦子ちゃんじゃなかろうか、これも蔦子ちゃんじゃないじゃろうか』
と思いながら、顔を確かめていったそうですが、蔦子さんは見つかりません。
避難所や救護所も沢山回り、蔦子さんの名前は見つかりませんでした。

明くる8日も、同じ様に、祖父母は蔦子さんを探しに行きました。
辺りが薄暗くなるまで探しても、蔦子さんの消息は、全く掴めませんでした。
比治山の近くまで来ていましたが、歩いて出ていたので、心細いし、諦めて帰ろうとしているときに、ほかの人から、大河小学校が避難所になっていると聞き、藁にも縋る気持ちで向かいました。

張り出してある名前を見ると、そこに蔦子さんの名前がありました。
蔦子さんは、すぐにわかりました。
祖母が駆け寄ると、蔦子さんの隣に居た見知らぬ中年の女性が話し掛けてきました。
「あんたが良子ねぇちゃんじゃろぅ?」と。
良子というのは、祖母の名です。
「この子は可哀相に、お父ちゃんやお母ちゃんがおらんのんじゃねぇ。
『良子ねぇちゃん、良子ねぇちゃん、台所からお水汲んで来て、飲ませてちょうだい』
って呼びながら、つい一時間前に亡くなっちゃったんよ」
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| ヒロシマ | 13:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
伝えられるコト、できること(2) 祖母の話
次に、祖母の話を書きます。


以下、2005年の日記より転載




祖母は既に女学校を一旦卒業していたのですが、学徒動員の名目で動員する為の、名前だけの『専科』の学生でした。
祖母は広島市南部、今も変わらない場所にありますが、三菱の工場で働いていました。
当初は工場内で作業していましたが、強制連行されて来た朝鮮の人達に(この工場で働かされていました)、女子が襲われると噂が流れ、工場から事務所に異動になっていました。
事務所では、他の人が書いた図面を写す作業を担当していたそうです。

普段工場へは、今の原爆ドームの近くから、トラックに乗り合って向かっていたそうです。
そのトラックは一台しかなく、その一台が往復して、たくさんの人を運んでいたので、朝はなかなか来ないのが普通だったようです。
でも、その日だけは違っていました。
いつになく、運行がスムーズだったようで、祖母はいつもより早い時間にトラックに乗り、いつもより早く工場に着きました。
原爆が投下されたのは、祖母が事務所に入ってすぐでした。
もし普段と同じ時間にトラックに乗っていたら、その時、祖母はまだトラックの荷台の上だったでしょう。
爆心からは少し離れていたので、少しは間があったのでしょうか、祖母は机の下に逃げ込んだそうです。

しばらくして、静かになったので、建物から外へ出てみると、やはりそこは地獄のようだったそうです。
外で働かされていた(主に朝鮮の)人達が、火傷を負い、剥けてしまった皮が爪で止まって下がっているのを、引きずらないように、手を前に差し出して歩いて来るのです。
その光景に驚きながらも、祖母もまた西へと逃げました。
途中の川は、桶のような物か小舟に乗り、他の人が引っ張るか漕ぐかして渡してくれたそうです。
井口という駅からは列車が動いていました。
広島市内の方を振り返ると、広島市の上空に、真っ黒な雲が広がっていました。
祖母は、更に西にある実家を目指しました。


実はこの日、祖母の同級生の女性は、祖父が渡ったのと同じ南大橋を渡っていました。
祖父とは反対の方向に向かって…。
祖父が渡り終えた頃に、その女性はまだ橋の中程に居たようです。
その女性は、熱くて川に飛び込みました。
その時は命をとりとめましたが、一ヶ月ほどして亡くなりました。



(3)に続く




| ヒロシマ | 13:23 | comments(2) | trackbacks(0) |
伝えられるコト、できること(1) 祖父の話
今日は、広島にとって、特別な日です。

☆にゃんこ☆にとっても。


毎年、朝は黙祷をし、夜は燈籠を流しに行きます。


以下、2005年の日記より転載




私の祖父母は、62年前の今日、広島の旧市内に居て、被爆しました。
生き延びる事はできましたが、今も傷痕が残っています。
今は目立った後遺症もありませんが、いつどんな病気を発症するかも知れません。
祖父母が体調を崩す度に、私達は、放射能の影響かと気が気ではありません。


まず、祖父が話してくれた話を簡単にまとめて書きます。


祖父は北海道出身で、当時広島の高等師範学校(現在の広島大学教育学部)の学生でした。
早朝あった空襲警報が解除されたので、その朝、祖父は学校に向かう為、橋を渡っていました。
その橋は、B29のパイロットが、原爆を落とす目標としたT字の橋−相生橋から南に数百メートルの場所にありました。
橋の中程まで来た時、空襲警報は解除されているのに、上空にB29が飛んできました。
祖父は『今爆弾を落とされたら、川に叩き込まれる』と思い、全力で走りました。
そして、橋を渡り切ったその時、原爆が投下されたのです。
祖父は爆風でアカシアの木の下に吹き飛ばされ、意識を失いました。
しばらくして、異様な暑さに目を覚ますと、自分の手の甲に火傷をしていました。
目を上げると、真っ黒になった上空から、マグネシウムを燃やしたような、青白い光が降り注いでいて、危険を感じた祖父は、しっかりと伏せて体を守ろうとしました。
しばらくしてから、祖父は西へと逃げ始めました。
当時既に恋人だった祖母の身を案じながら、祖母が居るであろう、そして祖母の実家のある方へ…。
途中橋の無いところは、自分で船のようなものを漕いでわたり、とにかく西へ西へと進みました。
その途中で目にした光景は、言葉にできない、もう地獄としか言いようのないものでした。
ひどい火傷で剥けた腕の皮が、爪で止まって下に垂れ下がっているので、引きずらないように手を前に差し出して、みんな同じ方向を目指して歩いて行くのです。
黒焦げになった人もたくさん見たし、でもとにかくその数が多すぎて、頭の中は真っ白になって、感覚が麻痺して、気持ち悪いとか、恐いとか、そういった感情はなかったそうです。



(2)に続く






| ヒロシマ | 00:26 | comments(4) | trackbacks(0) |
忘れてはいけない事
 

を渡ったところには、
こんな展示がしてありました



御幸橋




近づくと、こんな感じ。

御幸橋



原爆が落とされた直後の写真です。

↓続き↓もよろしくです
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| ヒロシマ | 11:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
サービス業だから…(T-T)
今日は黙祷したかったのに、
ちょうど接客中でできませんでした(T-T)

みなさんはできましたか??
| ヒロシマ | 18:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
特別な日だから。
朝から、平和公園に行ってきました。
時間ギリギリで、黙祷しかできなかったけど…
黙祷したあと、
平和式典会場近くまで移動して、式典の様子を傍聴しました。

スピーカー越しに、
子どもたちの平和宣言が聞こえてきていました。

その声には力があり、平和への思いを懸命に伝えようとしていました。

その後、ある意味日本で1番有名な人のあいさつがあったのですが、
正直、毎年思う事なのですが、
だらだらとやる気もなく、ただ原稿を棒読みで、何の為に来ているの?と聞きたくなりました

以前は、居眠りをしたり、祭壇に礼もしなかったり。
憤りを感じずにはいられません。


式典終了後、
公園内で催されていた『原爆展』を見て、一旦帰宅しました




夜は燈籠流しに行きました。

20060814_3694.jpg


近くで見ると…
燈籠

なんだか、寄り添いあって、励ましあって…
これから海に、その先に、長い旅に出る相談をしているようです。

祖母直筆の、亡くなった親戚へのメッセージを乗せた燈籠を川の水の流れに託して来ました。
祖母の思い、親戚の亡くなった方に届きますように…(´人`)

いつか世界に、本当の平和が訪れますように…(´人`)




ドームの前まで戻ると、牛乳パックキャンドルがありました。
キャンドル

みんな、思い思いのメッセージを書いていました。


こんなに皆が平和を望むのに、
どうして世界から戦争や核兵器が無くならないのでしょう??

私たちに出来ることは何でしょう??

できること、どんなに些細な事でもまず、してみましょう。
まずは、
あなたの隣に居る、その人と、平和について何でもいいから話してみてください。
| ヒロシマ | 22:38 | comments(2) | - |
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